3月にはハワイ大学からハワイアンスタディーズを専攻する教員・学生たち20数名が来日し,カラーカウア王や留学生の足跡を辿るスタディーツアーが実施されました.私も少し関わり,外交資料館に行ったり,早稲田キャンパスでシンポジウムを実施したりしました.ツアーの様子はハワイ大学のウェブサイトで紹介されています.
ウェブサイトの見出しはUH haumāna explore Kalākaua and Hawaiian Kingdom’s legacy in Japanとなっています。
Toshiaki Furukawa's Website
2025年7月2日水曜日
日本へのスタディーツアー
2025年3月17日月曜日
Day 14
横浜港を出発したカラーカウアの滞在14日目(1881年3月17日)は外務省の記録だと「海上平穏」となっています。神戸港に向けての移動日だったということがわかります。
こういった趣旨でカラーカウアの滞在を振り返っています。
ここまで紹介してきたカラーカウアの訪日と関連するイベントを明日、早稲田キャンパスにて開催します。
2025年3月16日日曜日
2025年3月15日土曜日
2025年3月14日金曜日
Day 11
カラーカウアが滞在11日目(1881年3月14日)に行ったこととしては,皇居へ参内,皇居内の会食に出席,ということになります.
宮中晩餐会の出席者には大隈参議,つまり早稲田大学の創立者である大隈重信もいたようです.読売新聞によると,カラーカウアが横浜港に到着した際,岩倉右大臣などと出迎えに赴いたと報じられています.
なお,その後,1890年代には,ハワイ王国の転覆時や日本からの移民の上陸拒否事件など,ハワイの政局が混乱していた際,当時外相だった大隈が戦艦をハワイに派遣することにも関与していました.このように,大隈とハワイ王国,カラーカウアとの間には少なからず接点があったということになります.
こういった趣旨でカラーカウアの滞在を振り返っています。
2025年3月13日木曜日
Day 10
カラーカウアが滞在10日目(1881年3月13日)に訪れたのは,(おそらく滞在先の延遼館から出発して)銀座本町,両国橋,向島,吾妻橋,浅草,上野を巡り,最終的には芝公園内紅葉館(現在の東京タワーがあるエリア),でした.
紅葉館は会員制の高級料亭でしたが,1945年3月10日の東京大空襲で焼失しました.ハワイ王国の領事館があったのもこのあたりでした.(Furukawa (2024)で領事館が載っている地図を引用しています.出典はこちら.)
こういった趣旨でカラーカウアの滞在を振り返っています。
2025年3月12日水曜日
Day 9
カラーカウアが滞在9日目(1881年3月12日)に訪問したのは、王子抄紙部,三井製紙場,渋沢別荘です。現在のJR王子駅周辺、都電(さくらトラム?)の飛鳥山公園駅周辺ということになります。
渋沢は渋沢栄一。(個人名を出すとご迷惑かもしれないので挙げませんが、人づてに教えていただいたこととして)渋沢側の記録では、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』25巻に「是日栄一、ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ(David Kalakawa)ヲ飛鳥山邸ニ請ジテ茶菓ヲ呈ス。次イデ十三日紅葉館ニ饗宴催サレ、栄一出席ス」とカラーカウアによる訪問が言及されています。外務省の記録では後日、渋沢がカラーカウアに謁見し、別荘訪問のお礼を述べたとされています。しかし、カラーカウアは少なくとも日記の中で渋沢に言及していません。言及している資料もこれまでまだ見たことがありません。ひょっとしたらカラーカウアは渋沢を重要人物だとは思っていなかったのかもしれません。
こういった趣旨でカラーカウアの滞在を振り返っています。