もう1つの言語はピジンである。ピジンは共通の母語を持たない人々の間で用いられる言語だ。交易や植民地など極限の状況で人々がコミュニケーションをする時に生じる言語であり、ハワイでは交易や捕鯨で英語とハワイ語が接触し、その後、プランテーションでポルトガル語、中国語、日本語、さらにはフィリピンのイロカノ語からの影響も受けたとされる言語である。よって、ピジンは誰の母語でもない。20世紀初頭に、ピジンを話す大人たちの周囲にいた子どもたちにとって母語となり、ピジンからクレオールという他の自然言語と質的に同程度の複雑な構造を有する状態へと変化したと考えられている。(言語学の正式名称はハワイ・クレオールだが,ハワイでは現在でも通称ピジンで定着している.)『ピクチャー・ブライド』の舞台設定は1918年で、この年にリヨが横浜港からハワイに向かったことになっている。そうすると、彼女がプランテーションで働いていた頃には、ハワイ・クレオールが話されていた可能性はなくはない。しかし、当時のプランテーション労働者の大多数はまだマツジのような1世であったはずなので、誰にとっても母語でないピジンを話していたと考えるのが妥当だろう。しかし,映画の中で日系労働者たちが話しているのはクレオールのようだ.つまり,現在ハワイ社会で話されているクレオールにプランテーション関連語彙(ハナハナ,ケイキ,バンバイ,ルナなど)を多く散りばめたような言葉になっている.これは事実とは異なるのだが、歴史的に正確なピジンのセリフを用意するのではなく.クレオールに特徴的な語彙を多くまぶすことにより,プランテーションでピジンが話されていたという演出上の目的は果たしているのだろう。