1907年から1924年の間に,リヨのような女性が2万人以上も写真花嫁としてハワイへと渡った.といっても,この時代に日本人がハワイへと自由に渡航していたわけではない.ハワイは1898年にアメリカにより併合され,準州となった後,1907年には日本人がハワイからアメリカへ転航することが禁止された.1908年には日米間で結ばれた非公式の協定により,日本人労働者の移住が制限された代わりに,写真花嫁として渡航する女性が増えたのである.そして,1922年には日系1世の帰化申請がアメリカ連邦最高裁によって却下され,1924年にはアジアからの移民を事実上禁止する移民法が議会を通過した.この頃までには,現地生まれの2世も多く誕生しており,ハワイの人口の半数近くを日系人が占めるというような状態だった.このような時代にリヨはハワイへ渡航したのだ.日本とアメリカの二国間関係が次の転機を迎えるのは1941年ということになる.