学生の時初めてアメリカに行ったのは,ワシントン州で,ちょうどコロンビア川が流れているエリアでした.このエリアはPacific Northwest(北米のコロンビア川の北側とロッキー山脈の西側に広がる地域)ということになりますが,ハワイと縁の深い地域です.
ハワイの産業史を振り返ると,捕鯨や白檀貿易に加え,17-18世紀にハワイ先住民がotter(カワウソ,sea otterはラッコ)の毛皮取引のために移住し,また移動を繰り返し,ハワイでの知識を応用しつつ新しい環境に適応しつつも,ネイティブアメリカンと民族間結婚をしていたことが詳しく論じられています.いわゆるディアスポラのハワイ先住民はハワイ語新聞を購読し,民族間結婚をした後も,ハワイ先住民としてのアイデンティティーを保持していた頃なども主張されています.しばらく前からたとえば以下のような研究があります.
Duncan, Janice K. (1973). Kanaka World Travelers and Fur Company Employees, 1785-1860
その一方,ごく最近でも当該コミュニティーを分析対象とした論文が執筆されており,新資料(ハワイ語新聞)も加えて,新たな知見が生まれているようです.
Farnham, April, L. (2019). He Mau Palapala Mai Kalipōnia Mai, Ka ʻĀina Malihini (Letters from California, the Foreign Land) Kānaka Hawai’i Agency and Identity in the Eastern Pacific (1820-1900). MA thesis, Sonoma State University.
毛皮の取引の後は,ゴールドラッシュで人の流れが変わること,南北戦争,それで需要の増加を見込んだ上でのハワイでの農作物増産の試みと宣教師出身経営者たちの目論みなど,異なる事象がつながっていき大変面白いです.ハワイというと砂糖やコーヒーのプランテーションというイメージが強いですが,それらに限定されないグローバルな世界の動きの中にハワイがどっぷりと浸かっていたことがわかります.