毎週日曜日はスターブルティン紙の日曜版に掲載されているハワイ語コラムKauakukalahaleの内容を紹介しています。今週(2008年7月20日)の記事は、英語だけ学ぶのでもなく、英語を第2言語として学ぶのでもなく、英語以外の(複数の)言語を学ぶべきであると主張しています。
この記事を書く動機というのはいろいろとあると思いますが、今年の4月にハワイ大学で講演したケニア出身の作家グギ・ワ・ジオンゴNgugi wa Thiongoが関係しているみたいです。Ngugi wa Thiongoはケニアから亡命したポストコロニアル作家であり、英語ではなく自分の母語であるキクユ語Gikuyu(英語、広域語のスワヒリ語に続く多くの第3の言語としての民族語の1つ、話者数500万)を執筆言語として用いています。(無理を承知でまとめれば)ポストコロニアル文学とは、英語をはじめとする旧宗主国の言語を通して「植えつけられた支配の記憶」を批判し、自分たちの中に「眠る記憶を呼び覚ます」ことをテーマとしています。彼の作品は30以上の言語に翻訳されていて、現在カリフォルニア大学で教鞭を執っています。(アフリカ文学日本語訳一覧はこちら。グギ・ワ・ジオンゴは中段より少し下の欄をご覧ください。)
話が大分脱線しましたが、ハワイ語コラムに戻りますと、今週の記事は第2言語としての英語や英語の公用語化という問題に触れる件で日本と韓国に言及しています。また、英語ではない言語として、中国語、フィリピン語、ポルトガル語、ドイツ語を例に挙げてこうした言語を学んだらいいのではないかと提案しているわけですが、上記のケニア作家の発言を考慮するとあまり適切でない例が使われているなあという気がします。ハワイの住人の継承語ということだとは思いますが、例としてあげている言語自体多くの変種を内包する「国家語」(その背後には先住民の言語などの少数者言語もあります)であり、旧宗主国の言語も含まれているからです。最後に例として挙げられているハワイ語はNgugi wa Thiongoの主張に沿っているだろうと思います。ピジンも例に挙げればいい気がしますが、今回は言及されていませんでした。(ハワイ版ポストコロニアル文学といえば、バンブーリッジ・プレスが端緒をつけたローカル文学があります。以前このブログでも何回か取り上げています。こちらです。)